煩悩障が軽微な者、身体の素質が良好な者は、気脈の運行が円滑であり、気機が発動しやすく、身心が軽安愉悦となり、これによって禅定が生じる。煩悩の多い者は愉悦感や身心の軽安感を得にくく、気脈が滞り、気機が発動せず、禅定は現れがたい。仮に欲界の禅定でさえ生じ難く、ましてや色界の禅定はなおさら困難である。
修行の道にまだ乗れない者は、自心の煩悩をよく検証し内観すべきであり、努めてこれを降伏克服せねばならない。煩悩は日常のあらゆる面に現れる。例えば心量が狭く、度量が小さいこと、固執して理に拘ること、見識が浅く愚痴であること、理不尽に言い争い理があれば譲らぬこと、闘争を好み競うこと、つまらない世間話を好んで議論すること、攀比を好むこと、計算高いこと、デマを流し事を構えること、妄語・両舌・悪口、口業に是非の心が強いこと、目立ちたがり、自己顕示欲が強いこと、権勢名利を好むこと、貪欲心が強いこと、財物を追い求めること、瞋恚心が強いこと、怒りを捨てきれず、怨恨が絶えないことなど。衆生の煩悩は実に数えきれぬほど多いが、いずれにせよ苦を離れんとするなら、如何なる煩悩であれ努めて降伏断除せねばならず、そうして初めて修道の望みがある。
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