阿羅漢がもし無余涅槃から出ることがあるならば、必ずや何らかの業種が熟すことによるもので、第八識が業種に依って再び運作し、意根を出生した後、意根と第八識が共に胎に投じて五陰十八界を出生するのである。業種が熟する時、第八識は必ずそれを了知し得る。業種が熟していない時、第八識もまたそれを了知し得るはずである。では、第八識のこの「知」とは何か。
第八識が業種に依って運作する時、それは思心所の造作であり、思心所が運行する前に、想心所の運行がある。想心所とはすなわち了別取相であり、業種を了別し、業種の熟したか否かの相を取るのである。想心所の前には受心所があり、業種を受容し領納する。受心所の前には触心所による業種への触があり、触の前には必ず業種へ作意しなければならない。第八識は無余涅槃の中に他の何事もなく、ただこの一事のみを行うことができる。
そして第八識がこの一事を運作するには、なおも自身の存在と絶え間ない運行が必須であり、これによって初めてこの事の運行が保証される。第八識自身の存在、つまり絶え間ない運行は、第八識自身の識種子の不断の流注に依り、連続不断の第八識の識流を形成する。五遍行心所法は第八識に伴って停止することなく運行し、これがすなわち第八識が相続して断絶せず、不生不滅であるという意味である。
3
+1