なぜ『楞厳経』では、一切の法は自然性でも因縁性でもなく、如来蔵性であると説かれているのか。それは一切の法がすべて如来蔵から生じ、変化したものであり、すべて如来蔵性であり、如来蔵に由来するものであって、因縁法から生じたものではないからである。例えば植物は、植物の種子、土壌、水分、温度、日光によって生長する。実際には如来蔵が生み出したものであり、これらの物質的なものによって生じたのではない。したがって一切の法は因縁性ではなく、如来蔵性であると説かれるのである。
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