衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月20日    金曜日     第4開示 合計387開示

衆生の業力は不可思議である

仏教には「仏力は思議不可思議であり、衆生の業力もまた思議不可思議である」という言葉があります。仏力は無窮無尽で、辺りもなく広大ですが、衆生の業力も同様に無窮無尽で、辺りもなく広大であり、衆生の悪業の力は仏の無量の神力に十分に対抗することができます。つまり、衆生の悪業もまた思議不可思議であり、衆生の無量劫にわたる生死の悪業は、その力が想像を絶するものなのです。仏世尊の三大無量劫にわたる修行は、その福德・智慧・神通の道力ともに衆生には思議できませんが、衆生の業力もまた、衆生自身には同じく思議できず、仏の神力と衆生の業力が果たしてどのようなものであるかを完全に知り得るのは仏だけなのです。

衆生の業力は三界世间の生・住・異・滅を感召し、天災人禍をも感召します。さらには劫の尽きる時の水災・火災・風災に至っては、三禅天以下の器世间全体がことごとく破壊されます。この世界が破壊される時になると、三災が現れます。水災が現れる時には、大水が欲界全体と色界の初禅天を覆い尽くします。火災が到来する際には、大火は色界の二禅天まで燃え上がり、二禅天を破壊します。風災が到来する時には、大风は色界の三禅天まで吹き荒れます。第四禅天に至って初めて災難は止息します。四禅天の人の心には動転がなく、捨念清浄地だからです。三禅天以下にはすべて災難があるということは、三禅天以下の衆生の悪業の力が非常に大きいことを物語っています。彼らの心にはみな動転があり、いずれも清静 (praśama) ではないからです。心に動転があれば業力があり、その業力は世界全体の破壊を感召することができ、三千大千世界の破壊をも含むのです。

——生如法師の開示
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