衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月20日    金曜日     第1開示 合計384開示

衆生の正報と依報

仏は菩薩優婆塞戒経において、一悪衆生の悪業因縁が、国土全体の瓜や果物、野菜の不作をもたらすと説かれています。それはなぜでしょうか。

衆生の業報は正報と依報に分かれます。正報とは五陰色身が受ける因縁果報であり、例えば衆生の色身の種類や状態、四聖六凡のいずれに属するか、凡夫の中でどの道の衆生であるか、六根が具足しているか正常か、欠損や病障があるかなどです。衆生の正報である色身は、個々の衆生の業種(前世と今世で造った業)によって決定され、単独の衆生の如来蔵が独自に変現したものです。一方、依報は衆生の共同生存環境であり、生存環境は単独の衆生のみが享受するものではなく、共業の衆生が共同で享受するため、生存環境は多くの共業衆生の業種によって共同で決定されます。したがって、依報の生存環境とは、全ての有縁の共業衆生の、彼らのすべての如来蔵が彼らの共通の業種に基づいて生成した因縁果報なのです。

依報とは衆生を取り巻く生存環境のことであり、生存環境は一衆生によって決定されるものではなく、全ての共業衆生の、彼らすべての業縁・業種によって決定されます。よって外界の生存環境は、一衆生の如来蔵が単独で創造できるものではなく、全ての有縁の衆生の如来蔵が共同で変現したものです。共業衆生の如来蔵は共同で地水火風の四大種子を出力し、衆生が造った業の業種を出力します。出力後、それらは共同で全ての共業衆生の依報——生存環境——を変現するのです。

私たちの生存に欠かせない飲食・瓜・果物・野菜の収穫の良し悪しは、全ての有縁衆生の共通の業縁によって決定されます。では、これらの依報はどのように形成されるのでしょうか。衆生の業には共業と別業があり、別業には個々の衆生の業と、一部の衆生が他の全ての衆生とは異なる業とが含まれます。共業と別業は相対的なものであり、絶対的な共業や別業ではありません。例えば、ある地域の業は共業であると同時に別業でもあり、共業とはその地域の衆生に共通の業縁を指し、別業とは他の地域や全世界の衆生とは異なる業縁を指します。全ての衆生の業は、全ての衆生の如来蔵が衆生の業縁に基づいて業種を出力した後、形成される依報の生存環境なのです。したがって、依報の生存環境は一衆生の如来蔵のみで決定できるものではなく、全ての衆生の如来蔵が共通の業種に基づいて決定するものなのです。

——生如法師の開示
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