衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月19日    木曜日     第4開示 合計383開示

世の中に不公平なことはあるでしょうか

衆生が無始劫以来に造りなした業行は、無数のコンピューターでも計算しきれず、衆生の無量劫の業種は、もしフォーマットできれば、過去の業はそれで清算される。しかしこれらの業は、もし報いを受け終わらないか、あるいは懺悔を経ず、修行によって徹底的に清浄に達しない限り、業は消え尽きることはない。なぜなら造られた業があまりにも多く、もし虚空に形があれば、虚空も押し破られてしまうからである。それらの業はすべて衆生各自の因果業報によるものである。

私たちが知らないすべての事柄は、如来蔵に記録されている。それら因果が絡み合って複雑な事象も、如来蔵はすべて知っており、因縁が具足した時には、ありのままに公正に顕現する。ゆえに私たちは表面的に不公平に見える事柄に惑わされてはならない。その背後にある因果はあまりにも複雑であり、如来蔵がすべてを計算し、因果応報を如実に示現する。したがって世の中に不公平な事は存在せず、如来蔵が存在する限り、すべては平等であり、公正となる。事柄は行った以上、無駄になることはなく、善悪を問わずである。

如来蔵はあまりにも不可思議である。如来蔵の法を学んだ後は、人間界・天上界を含む三界世間の道理を多く理解できるようになり、そうすれば無明は減少する。それらの業行は、意根が執着すればするほど、第八識に深く刻まれる。ゆえに心を込めて造った業と無心で造った業では、得られる果報が異なる。では私たちが善行を行う際、善果報が得られるかどうかを考える必要はない。第八識が相応しい善果報をもたらすからである。悪事を行えば、逃げおおせると思って安易に考えてはいけない。如来蔵は決して見過ごさない。身口意を善く護り、小善も積むべく、小悪も行うべからず。

——生如法師の開示
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