青天の観行記録:
坐禅四十六日目 呼吸を観ず
夜の坐禅において、十回の深い呼吸を行った後、鼻息を観じ、徐々に腹式呼吸へ移行した。このところ腹式呼吸の初期段階では、吸気時に腹部の筋肉の収縮がさほど強くなかったが、本日は呼気時の腹部収縮が非常に強く、呼吸時に丹田が非常に熱くなった。終始鼻息を観じ、念を他へ移すことはなかった。
約三十分坐禅を続けると、気機が上昇し始める感覚があった。師の教えに従い自然に任せて妨げず、気機が一瞬で胸部に達し、それ以上上昇しないまま、胸部から下の部位全体が電流が走るように一瞬で消失した感覚を得た。引き続き鼻息を観じ、この時も腹式呼吸を保っていた。さらに十数分が経過すると、再び気機が上昇し、両耳が同時に「ブーン」と鳴り、頭部全体と顔面の毛孔が立ち、ぴりぴりとした感覚があった。すぐに感覚は消退し、前胸部・後背部及び腹部に微汗を生じた。深呼吸は自然に停止したため、残り十分以上あるのを確認して自発的に深呼吸を再開し、坐禅終了まで継続した。
朝の坐禅では、十回の深い呼吸を行った後、鼻息を観じると間もなく腹式呼吸に入った。今朝も丹田部は非常に熱く、特に吸気時に気流が熱流のように上腹部から丹田へ流入する感覚があった。時に一息吸い込むと、大腿部の上面が涼しく感じられ、まるで冷気が大腿から入り込むようであった。約三十分坐禅を続けると、再び気機が上昇する感覚があった。今回は比較的緩慢でさほど強くなく、胸部と頭部に達するとそれ以上進まなかった。胸部の気の膨張により呼吸が浅くなり、頭部にも若干の膨張感があったが顕著ではなかった。十分間ほど経過した後、念を丹田に置くと、上記の不快感は徐々に消え、呼吸は滑らかになり、両肩も沈み、腹部は柔軟で快適な状態となった。
評:心が空(くう)であればあるほど、気機の発動は速く長く、禅定に入る深さも増す。性障に覆われている者は気機が発動しにくく、発動してもすぐに消えやすい。将来、初禅定が生起する際にも同様の気機発動がある。心が空であればあるほど性障は軽く、気機の発動は速やかで深く、全身に行き渡りやすく、持続時間も長くなり、禅定も深まる。いわゆる性障とは、心に執念があり、身体に執着し、自我に執着し、執着する法が多く、攀縁が絶えず、世間の法をことごとく実体あるものと執着し、捨てようとしないことを指す。
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