衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年04月22日    日曜日     第5開示 合計401開示

因果を深く信じ、言行を慎む

衆生の業には定業と不定業があり、定業は一定の因縁条件によって不定業に変わり、不定業も一定の方法によって消滅することがあります。多くの業は必ずしも報いを受ける形でしか消えず、懺悔の方法によっても業を消すことができ、特に悟りを開いた後は世俗諦の理と勝義諦の理を明らかにし、消す業が多く大きく、心が変われば全ての業が変わります。万法は唯心に造られ、鍵は衆生の心が清浄かどうかにあります。しかし重大な定業は改められず、懺悔も通じず、必ず報いを受けた後で業の種子が消滅します。重大な悪業は自らの道業を著しく覆い隠し、見道・証道を阻み、未来必ず三悪道に堕ちて長劫苦しむため、誰もが貪瞋痴の煩悩を降伏し、故意・過失を問わず大悪業を造作するのを避けるべきです。

我見を断ち明心見性した後、無生の理を悟り、無生忍の智慧と無生法忍の智慧を具足すれば、これらの三悪道の業は消滅し、三悪道の苦報は人中で僅かな余苦を受けるのみで果報が終わります。業は生滅変化するもので本来固定的に存在するものではなく、生じた法には必ず滅する時があり、人為的な五蘊から生じた法、有生の法は必ず滅し、真実に存在して永遠不変なものではありません。虚妄の法であれば全て変化し得ます。したがって修行においては懺悔等の様々な形で積極的に内心を変え、徐々に清浄に転じさせれば、業の種子も変化し得るのです。

しかし造作した業の種子が完全に消えることはほぼ不可能で、せいぜい罪障を軽減するのみです。砕けた玉器はどう修復しても裂痕が残り、こぼした水はどうしても完全には戻せないのと同じです。これらの因果律は如来蔵によって実現されますが、如来蔵は主宰せず、意根は主宰できても如来蔵には融通が利きません。如来蔵には微塵の隙もなく、言語も入らず、人情にも疎く、世故にも通じず、鉄面無私で固定されたプログラムのみに従って因果を実現するため、多くの地上菩薩も因果の苦報を受けるのです。

これらの因果の複雑さは、地上菩薩の唯識種智が一部を観察できる程度で、仏のみが完全に了知できます。よって因果を深く信じることは非常に難しく、一般人は僥倖を抱くのみで、多くの場合因果に無覚無知です。入地の菩薩は如来蔵の運作の理を観察し明らかにできるため因果を深く信じ、妄りに業行を造ることを恐れますが、それ以外の者は昏天暗地であることが殆どです。自らの道業を進め苦報を減らすため、常に言行を慎み、自らを低く置き、特に大乗三宝や大乗如来蔵法に対し細心の注意を払い、智慧がない時は黙して語らず、大悪業を造って後悔しても取り返しがつかないことのないよう心がけるべきです。

——生如法師の開示
前へ前へ

阿頼耶識離脱後、なぜ死体はすぐに消滅・腐敗しないのか

次へ 次へ

消業の方法と原理

ページトップへ戻る