問:観無量寿経にある日想観の方法を用いて白骨観を修習することはできますか?
答:日想観と白骨観の修習方法は同じで、難易度もほぼ同等であり、さほど困難ではありません。あらゆる観想による証得の方法はおおむね似通っています。日想観に続く地想観と水想観は比較的難易度が高く、日想観自体は難しいとは言えませんが、観想そのものは容易ではなく、1年2年を要します。2年間修行しても成就したという話は聞かず、現在では中途放棄する者が多いようです。真の修行は容易ではなく、いかなる三昧を証得するのも困難です。修行を放棄して生死を流転するのはより苦しいものであり、相対的に見れば修行しないよりは修行した方が幾分容易で楽です。修行の容易さは本人次第であり、意志の強さが成否を分けます。容易に中途放棄する者は意志力が弱く、修行で何ら体験を得られず前途が不透明に感じられる場合が多く、世間法においても同様に意志薄弱で、仏法の修証でも同じ傾向を示します。
白骨観は数年を要し、早くて2~3年で成就可能ですが、これは根器によります。娑婆世界で優れた根器を持つ者は極めて稀です。また観像念仏の法門における観想も、用功の方法はほぼ同様ですが、対象が異なるため証得する境地も異なります。観行が空を対象とする場合は小乗の果を証し、大乗を観行する者は大乗の果を証します。大乗観行は出発点が高く、小乗の観行を基盤とする必要があります。日想観の成就は証果や明心と直ちに関係しませんが、禅定力が非常に優れており、この禅定力を以て他の法を観行すれば成就は迅速です。
観無量寿経十六観は第七観に至って初めて明心できますが、前半の観想では明心できません。ただし三昧境界が現れれば命終時に極楽往生が保証されます。白骨観の成就は我見を断ち初果から四果を証得し、観像念仏観が成就すれば単なる明心を超え初地に達する可能性があります。これは各人の智慧の証量と禅定の証量、総合的な条件によって判断されるもので、観行の着手方法に大差はありません。
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