動静を合わせ持つ禅定は、単なる静中の定より智慧を生じやすく、智慧を生起させる縁が多く、外境の縁において頓悟しやすいためであります。行住坐臥において心を定中に保つことができれば、このような定は比較的安定しており、身口意の行いも清浄となり、受ける利益は多くなります。静坐観行の修練が熟達した後は、身体活動中にも定力を保ち、観照をより専注にする練習が必要です。
静坐中の観照が極めて専注となった時は、徐々に坐を下り、地上で経行したり、歩行・散策・速歩・緩歩を行いながら、自らの心念が依然として呼吸に縁付けられているか、周囲の塵境に転じられていないかを反観すべきです。しかし静中の定を修習の基礎とせずしては、身口意の活動中に禅定を得ることは困難であり、もし活動中に心念が塵境に転じないならば、定力が増した証左となります。活動中の定力は極めて重要であり、静坐中の定力よりも一層堅固で、活用機会が多く、悟道の契機にも恵まれます。もし活動中に心が散乱せず観照の定力を保てるならば、呼吸観照の功力は相当に成熟したと言え、行住坐臥の修練が一体となった証しとなります。
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