どのようにして自らの福徳を具足させるか?
比べ合うならば、物質的な富の享受量を競うのではなく、如来蔵銀行の預金額を比べるべきです。如来蔵銀行の預金が最も多い者が最も富貴であり、最も早く仏となります。仮に現在の物質的享受が少なくとも、如来蔵に蓄えた功徳が多ければ、私たちこそ真の大富貴者です。富貴か否かは現金保有量ではなく預金額で判断されます。従って私たちは享受を控え、預金を増やし続けるか、その預金を衆生の利益のために用いて更なる福徳を蓄えるべきです。
如来蔵銀行から1円を取り出して衆生を利楽すれば、その報いは千倍あるいは無量倍となります。修行のない者に1円を布施すれば千円の報い(千倍)、修行者に布施すれば十万倍・百万倍・無量倍の報いが如来蔵銀行に蓄積されます。この理を悟れば、福徳の修め方が分かります。1円を自己享受に費やせば預金は1円減りますが、他者に使えば千・二千・十万・百万・無量万の預金が増えます。福徳を修める者は享受を最小限にし(享受すればするほど福徳は減る)、他者を利楽させることで千万倍・無量倍の報いを得ます。福徳が満ち如来蔵銀行の預金が充足すれば、因縁が具わり初地・二地・十地を経て遂に悟りを開き仏となるのです。
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