衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年05月02日    日曜日     第1開示 合計3365開示

四念処観行問題解答17

<h2 style="text-indent: 2em;">問:修行を精進した後、内心に反転の現象が現れるのはどういうことですか?</h2>

答:修行が非常に精進した後には、業力が現前し、心はすべて修行の上にあり、世俗法の上にはなく、従前の自分の習気と背馳するため、意根が大きな圧迫を受け、修行の進度に追いつかず、心が苦しく感じられ、修行をしたくないという反転の現象が現れることがあります。これは意根が反抗しようとしているのであり、神様はあまり精進したくなく、従前との差が大きすぎること、自分の意思にあまりにも背くことを望まないのです。意識は意根を圧えきれないので、行為の上に懈怠で怠惰な現象が現れたり、心が煩わしくいらだったりします。このような状況が生じたら、自分の心理を観察し、背後にある真の原因を探し当てて、症状に応じて薬を処方しなければなりません。心の中でもう一度道理を説いて、世間の苦と修行の重要性を思惟してもよいし、あるいは一時的に意根に随順して、少しリラックスし、神経をあまり張り詰めさせないようにしてもよいのです。 修行は琴を弾くのに似ていて、琴の弦はいつも張り詰めていてはなりません。あまり緊めすぎると切れてしまいます。身心が修行の進度に追いつかないときは、少し緩めるべきです。琴の弦が切れてしまい、長い間立ち直れないよりは、一時的に少し緩めたほうがましです。琴を弾くには緩急が適度であってこそ、琴の音は美しくなるのです。仏は経の中でこの問題を説かれました。だから私たちはいつでも自分の身心の状態を把握し、自分が耐えられるかどうかを見て、耐えきれないときには少しペースを緩めるべきです。精進は良い現象ですが、一つの度合いを心得なければなりません。

——生如法師の開示
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父子合集経講記(二二八)

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末法時期に意根と意識の区別を了解することの重要性

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