福徳は全て如来蔵に存在する
地球が形成された当初、甘美な泉が広く湧き出で、自然に地肥が生長していた。当時の人々は二禅天より降りてきた者で、大いなる福徳を具えていた。後に衆生が貪心を生じ福徳が減少すると、甘泉と地肥は消失し、自然に生長する梗米が現れるようになった。さらに福徳が減退するに及び、自然の梗米さえ生じなくなり、人々は五穀を栽培する必要が生じ、今日に至るまで人力による耕作が続いている。現在地球上に存在する極めて栄養豊かな五穀や植物は、我々がその名を聞くことさえ叶わぬ程に減少した。これは我々が福徳を消耗した結果である。我々は既に薄福な衆生であり、後の世の衆生は更に福徳が薄れ、美味なる穀物も全て消失し、彼らはそれを口にすることも目にすることも叶わぬ。故に我々の生活の一切は、全て自らの福徳より生じるのである。
この福徳は何処に存在するのか。全て如来蔵に存在する。如来蔵は我々の銀行である。もし銀行に蓄えられた福徳を全て消耗すれば、貧窮下賎の者となる。もし銀行に蓄えられた福徳を引き出さず、あるいは僅かしか享受しなければ、我々は富貴なる大長者となる。修行者は多く蓄え少なく用い、引き出した後も再び衆生の利益安楽に用いるべきである。かくして福徳は再び蓄積され、銀行の貯金は次第に増大し、利息が利を生み、福徳が円満に修まれば、仏となることができるのである。
1
+1