衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年04月29日    木曜日     第2 回の開示 合計3358回の開示

『父子合集経』講義(二二四)

仏になるにはどのような条件が必要か?

金輪王は無量の仏を供養し、多くの善根を積んで初めて金輪王となったのです。もし私たちがしっかり修行せず、ただ一句の念仏を唱えて命終し極楽往生し、そこで成仏を待つだけで、本当に仏になれるでしょうか?私たちは釈迦仏を供養しただけで、十分に供養もできていない。極楽世界で阿弥陀仏一尊に出会っただけで、成仏できるのでしょうか?金輪王になるのにさえ無量の仏を供養する必要があるのに、まして仏道を成就するというより殊勝な果報を得るにはなおさらです。経典では、衆生が成仏するには皆無量無辺の諸仏を供養し、各仏の御許で教法を聴聞し、世々諸仏を供養して初めて福徳が具足し、福慧両足尊たる世尊となると説かれています。ですから、ただ念仏を唱えて極楽往生すれば即座に成仏するなどということはあり得ません。衆生を救う経験も不十分で、仏法も学んでおらず、福報も修めていない者が、そう簡単に仏になることは不可能なのです。

もし本当にそんな容易なことで念仏だけで成仏できるなら、弟子たちが教法を求めても小乗の教えさえ説けず、大乗の教えはなおさら説けないのに、どうして衆生を救えるでしょうか?そもそもこれらの弟子衆はどこから来るのでしょう?自ら弟子を救ったこともなく、衆生と縁を結んだこともないのに、どうして弟子が現れるでしょうか?衆生を救ったことがなければ弟子はおらず、弟子の協力がなければ仏国土を建立することも、成仏することもできません。例えば国王になるにしても、家臣も民衆もいなければ王となることはできません。ただ極楽世界に往生しただけで、衆生を救ったこともなく、福報が不具足で、経典を説く智慧もなく、福慧ともに不十分ならば、成仏はできないのです。

成仏する時には無量無辺の弟子が弘法を補佐します。まず左右に等覚菩薩が二大弟子として仏を護持し、初地から九地までの多くの菩薩、悟りを開いたばかりの菩薩、凡夫菩薩、声聞縁覚など、無量無辺の弟子衆がいて初めて仏国土を建立できます。したがって成仏を望むなら無量の諸仏を供養し、常に無量諸仏に随って教法を学び、自らの福徳を早く円満具足させなければなりません。

成仏前に学ぶべき仏法は非常に多く、一尊の仏の御許だけでは学び尽くせません。南瞻部洲に伝わる三蔵十二部経は、仏が説かれた教法のごく一部に過ぎず、娑婆世界で説かれた法は爪先ほどの土ほどで、説かれなかった法は大地の土ほど存在します。それでも南瞻部洲の三蔵十二部は衆生にとって大海のように広大で、多くの人はその十分の一、二十分の一しか読むことができません。ましてや仏が説かれなかった無量の法があるのです。仏法は本当に広大無辺ですから、私たちは無量の諸仏を供養し、常に諸仏に随って修学し、福徳を積み続けて、最終的に仏道を成就しなければなりません。

——生如法師の開示
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