衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月22日    火曜日     第1開示 合計526開示

意識の智慧と意根の智慧

意根の智慧は二種に分けられます。一つは、無始劫以来、無量の法を薫習してきたことによって具わった、意識に独特な智慧であり、生まれながらにして備わっており、後天的な薫染や学習を必要とせず、意識の智慧よりもはるかに優れ、意識の智慧よりはるかに強力で、意識はこれと比べものになりません。したがって、意識による境界に対する思考・分析・研究・比較・想像などの思惟活動に頼ることなく、単独で六塵の内および六塵の外の塵境に対して、迅速に、人知れず、思議できないような考慮と判断を行い、かつ素早く決択を下すことができます。意識に思考や参究をさせることを許さず、意識による弁明や抵抗も許しません。

意根のもう一つの智慧は、境界の具体的な内容に対する了別の智慧であり、この智慧は意識よりはるかに微弱で劣っています。そのため、意識による細やかで行き届いた了別に頼らなければ、判断と決択を行うことができず、意根だけではこの種の分別を完成させることができません。意根が縁ずる境は極めて広くかつ幅広いため、すべてあるいは大部分の注意を投入して集中して了別することができず、境界の大まかな相貌を了別し、簡単な考慮と判断を行うことしかできず、細やかで行き届いた了別はできません。このとき意識の了別に頼らなければ、決択を下すことができないのです。一般に意根の了別慧は劣っていると言われるのは、主にこの意味を指しています。

以上の二種の智慧は厳格に区別しなければならず、曖昧に混同してはなりません。さもなければ、意根の体性・功能作用を正確かつ的確に理解することができず、自分の智慧と道業を向上させることもできません。もし意根の智慧が、いかなる法においても、いかなる時においても低劣であるならば、重要な関門において、性命に関わる危急の際において、大是大非を前にして、証拠が不十分なときに、衆生はどこへ向かえばよいのでしょうか?すべて決断が下せず、厄難から逃れられず、難に遭っても祥と成すことができず、必ず早くに夭折して、天寿を全うして終わることができないのではないでしょうか?

——生如法師の開示
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意根の了別慧は劣っているのか

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