禅定に入っている時は睡眠が少なくなり、身体は多くの睡眠を必要としません。禅定そのものが六識の活動を減らし、四大の栄養消耗を少なくするからです。禅定はまた意根の攀縁を減らし、色身の活動を抑制し、全身の神経システムへの牽引と制御を減らします。脳神経システムと五臓六腑、そして全身の活動量が減ることで四大の消耗が少なくなり、身体は疲労せず、意根も睡眠を決定する必要がなくなります。
禅定が深まるほど必要な睡眠は減り、完全に睡眠不要に至ります。この時、意根は非常に静穏で造作を起こす欲求がなくなり、脳神経システムを過剰に動員することも、身根の活動や識心の活動もほとんど生じません。意根が定まるほど攀縁が減り、調節活動が減り、四大の消耗が減るため、睡眠や食事を必要としなくなります。
日常業務において、作業量は少なくないものの心の動きが稀薄な人々は、消耗が少ないため多くの食事や睡眠を必要とせず、依然として精力が充実しています。これは四大のエネルギーを最も消耗するのが意根の心的活動であり、六識自体の消耗はさほど多くないことを示しています。従って六識の作業量は全く減らないものの、意根の心念が減れば活動量が減り、仕事による疲労を感じなくなります。
これにより、意根が色身の状況を常時把握し、随時調節指揮できることが明らかです。その了別は極めて敏捷で細やかであり、決して粗雑なものではありません。意識は身体の様々な状態を知らず、意根の暗示と警覚を必要とするのです。
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