衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年04月25日    日曜日     第1 回の開示 合計3342回の開示

正しい観行の修行はこのように行うべきです

四念処観行日記:現在は浅い定に入るのが比較的早く、坐中に一つの「知」を提起し、呼吸に随って内面を照らし続けていると...しばらくするとパチリと心が流れに入ったように感じ、瞬時に清浄になり、頭も明るく澄み渡る。

わざわざ妄念に対処する必要はない。色身・覚受・妄念は全て生滅幻化であり、空なるもの。束縛ではないから、ただ照らせばよい。対治しなくても自然に空となる。ちょうど般若心経に「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊皆空なりと照見し、一切の苦厄を度す。舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即ち空、空は即ち色。受想行識もまた如是なり」とある通りだ。以前はただ暗唱するだけで活用できなかったが、今修行する中で実践し、少し感覚が掴めてきた。五蘊は障害ではなく、対処する必要もない。生滅幻化であることを覚えておき、ただ観照し続ければよい。観続ければ五蘊は自ずから空じ、色身と妄念は自然に空となる。これが現時点での私の理解だ。

結跏趺坐は単なる形式。椅子に座っても、床に寝転がっても、「知」を提起し内面を照らせば、比較的浅い定に入れる。坐禅時の双盤・単盤・散盤も全て可能で、肝心なのは心の使い方。方法が正しければ契合できる。

評:心が静まらない時、内面の縁は多いが、我々には目標がある。呼吸を観行することが主目標、つまり唯一の任務だ。主要な事柄に集中することで任務を全うできる。呼吸以外の思想や念を追い求めてはならない。それらは重要ではなく、念は去来して留まらず、留めようとしても留まらない。正事に専念すればよい。

心が呼吸のみを縁とすれば、灯りが呼吸だけを照らすように、周囲の身体感覚や雑念は心中から消え去り、空となる。呼吸に集中すると、以前は気づけなかった現象、つまり真実の事実に気付く。その真実の内容は各人の修行の中で自ら体得するもので、人によって発見する内容は異なるかもしれないが、最終的に帰着する所は同じ。つまり五蘊空と無我を証得することだ。

観行は特定の姿勢に拘らない。行住坐臥全てにおいて観行し、動静を組み合わせて相乗効果を生む。ただし結跏趺坐には利点がある。気血の流れを促進し、色身を調和させ、心を静め、念を集中させる。その後身体を動かせば気血の巡りが充分に整い、全身に行き渡り、身体により有益となり、心は更に清浄となる。

——生如法師の開示
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