灯火と船筏の喩え
菩薩は長夜の中に光明を得て照らすことを誓願とする。衆生の生死の暗黒の長夜を、誰が照らすのでしょうか。菩薩は心を発して照らすべきであり、松明となり衆生の心を点じ、解脱へと向かう道、成仏の道を照らし導かねばなりません。
菩薩は愛河の中に船筏となることを誓願とする。凡夫の衆生は皆、生死の愛河に沈淪しています。欲界の衆生は己が眷属や五欲六塵を貪り、色界の衆生は天界の妙境と天人の色身に執着し、無色界の衆生は色身なくして禅定の境地を貪愛しています。これらは全て貪愛であり、この貪愛がある故に衆生は三界を出離できず、三界の生死愛河に漂い流転しているのです。菩薩は自ら愛河を脱するのみならず、愛河の中に船筏となり、衆生を渡し愛河を出離せしめんと誓願を発さねばなりません。
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