衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年04月20日    火曜日     第1 回の開示 合計3324回の開示

四念処観行に関する問題解答11

問:呼吸観察の最中、身体全体が非常に重く大きく感じられ、呼吸の状態は観察できなくなりましたが、仏像が浮かび上がり、仏号で念を制御できます。ここ数日呼吸観察中にこの状態が2回発生しました。座禅から降りた後は体が軽く感じますが、以前より寒さを強く感じるようになりました。どういうことでしょうか?

答:身体が大きく重く感じられるのは欲界禅定に入ったためです。欲界禅定が現れると欲界天人の身体が生じ、天人の身体は大きく軽やかで快適なものです。禅定の境地に入ると、仏像が現れるなどの境界像が生じます。これは心が清浄になり仏を感じたためです。禅定に入った後、現れた境界に意識が向かうため呼吸を観察できなくなります。全ての境界は虚妄であり執着すべきではありません。そうでなければ道を外れ境界に引きずられ、帰路を見失います。禅定中に仏が現れても同様に虚妄であり執着してはなりません。

古代の文喜禅師が炊事中に鍋の上に文殊菩薩が現れた時、しゃもじを振りかざして追い払おうとしました。文殊菩薩は「三大阿僧祇劫修行したのに老僧に嫌われるとは」と言い、文喜禅師が相に執着しない空の心を称賛しました。しかし悟っていない心が空でない者が真似してはなりません。心が空でなければ仏菩薩の相が現れ、不敬があれば罪過を生じます。悟った者は心中に相がなく、追い払うのは仮の相であるため不敬の過ちはありません。

禅定中は意根が身体に執着せず、全身の気脈が通じ毛孔が開くため、冷気が体内に入り寒さを感じます。寒さを感じるのは禅定で気血が通じ毛孔が開き、虚空の空気と密接に接触するためです。この時は厚着をし、座禅中に腰と脚をしっかり覆ってください。気脈が完全に通じれば寒さを感じなくなります。

——生如法師の開示
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