衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月31日    木曜日     第3 回の開示 合計573回の開示

如来蔵の本質

如来蔵は組み合わせによって成るものではなく、構成体でもありません。組み合わされたものは後天的に生じ形成されたものであり、生滅する性質のものです。しかし如来蔵は本来から存在し、生滅することなく、いかなる法も如来蔵を構成することはできません。むしろ如来蔵が一切の法を生じさせているのです。如来蔵は虚空の中に存在するのではなく、また五蘊と離れることもなく、五蘊のすべての作用の中に如来蔵の協働があります。如来蔵は七大種子を送り出すことによって五蘊を生じさせ、五蘊の身体は如来蔵が送る六大種子によって形成されます。

如来蔵が五蘊十八界を生じさせるのは、直接種子を送り出して変化創造するものです。変化創造された後、如来蔵が再び五蘊十二処十八界の万法を顕現する際には、すでに変化創造された外六塵を基盤として、五根を通じて六塵の相分を摂取し、内六塵を再び変化創造します。これによって我々は六塵の境界を了別できるのです。つまり我々が知覚する内六塵の相分は、如来蔵が五根を通じて外相分に基づき、外相分を再び変化創造したものであり、これが六塵が心中に顕現する原理です。

如来蔵は外に辺際がなく、身体を包み込むこともなく、内側で身体と重なり合うこともありません。形も相もない如来蔵が形ある身体と重なることはなく、ましてや身体を包み込むことなどありません。なぜなら如来蔵に内外の区別がないのは、虚空に内外がないのと同じだからです。如来蔵は世俗の法ではなく、我々は世俗法の理念に従ってこれを捉え理解すべきではありません。このように探求する時、さらに多くの障りが増えることはないでしょう。

——生如法師の開示
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