衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月14日    水曜日     第4 回の開示 合計3304回の開示

父子和合経講義録(二〇八)

精進して仏法を学ぶことは心中の煩悩を消除できる

我々の心中に巣くう煩悩は極めて深く、その数も膨大で断ち難きものなり。しかし真に難事と言うにあらず、勇猛精進の修行を積むならば、煩悩は朝日に雪の解ける如く消え去る。故に難易は全て心の在り様に由る。悟りを得た者が禅宗の悟りの難易を語る様を観よ。龐蘊は曰く「難しや難し、十担の胡麻油を木の上に広げるが如し」(参禅開悟は十担の胡麻を樹上に広げるが如く困難なり)。続いて龐婆は「易しや易し、百草の頭に西来の意有り」と。霊照は「難からず、易からず、飢えれば飯を食い、倦めば眠る」と。三者三様の悟りへの感覚、三つの見解あり。これにより一切の法の難易は人による、人の根機の利鈍による。難易は相対法であり、仮相である。真に難易が存在するのではない。

——生如法師の開示
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五蘊と六識はすべて意根の道具です

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