衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月14日    水曜日     第3 回の開示 合計3303回の開示

四念処観の実践に関する質疑応答 2

問:四念処はいかに観行すべきか。 

答:観とは観察・観照・発見・覚知を意味します。物事のありのままを即座に知り、意識で加工してはなりません。つまり生じた事象をそのまま観るのです。例えば呼吸を観る場合、呼吸に関する一切の状況を可能な限り観察し、他は一切関知せず、分析せず、理解せず、推論せず、判断せず、想像せず、推測せず、整理せず、帰納せず、概括せず、意識を忙しく働かせず、ただ静かに心安らかに観るべきです。あるがままに観照し、余計なことをする必要はありません。 

観察後の事柄は自然に意根が直面し、考究し、思量するものです。意識が意根に代わって諸法を覚ることはできません。故に意識には清浄な観察を保たせ、大事は意根自らが決断し、無明は意根自らが打破し、真理は意根自らが発見すべきです。呼吸を観る際に呼吸の現象が観じられない場合は、禅定力が不足し、心がまだ粗いことを示します。覚照力を強化し、注意力を集中させ、散乱心を降伏させ、少しずつ深く細やかに、全面的に観じ、四念処経の原文に沿って観行すれば、観察力は向上するでしょう。

——生如法師の開示
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父子和合経講義録(二〇八)

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