衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月05日    火曜日     第7 回の開示 合計598回の開示

蒼白で無力な口癖

多くの人はこう考えます。お金というものは生まれてくる時も持ってこず、死ぬ時も持っていけない。人にあげても失っても構わない、あってもなくてもどうでもいい、と。しかし実際に大金を失った時、心は本当に不安で悩み苦しみます。「どうでもいい」と思うのは意識心です。実際、意識がどう思おうと大した意味はなく、こうした口癖は肝心な場面では無力に感じられ、多くの人は自分を欺いているのです。いざ本当の場面に直面すると、心は未練がましく貪欲になります。これは普段の意識の口癖が完全に高尚な議論に過ぎず、意根はこの理を認めず、意識の認識とはかけ離れ、両者の歩調が一致していないことを示しています。

多くの人の意識が掲げる論調は、あたかも何地菩薩の境地に達したかのようです。例えば一切の法を分別せず、一切の法に求めず、全てを空と見なし、我執も法執も断つ、など。しかし実際の意根の境地は依然として凡夫の貪瞋痴の煩悩性であり、様々な執着が深刻です。いざ自分自身の重大事に関わると、全ての論調は夢幻泡影と化し、意根の本性が露わになります。傍観者は悟るでしょう「なるほど、そうだったのか」と。

なぜなら重大な局面では、深層の意根の心理的問題に関わるからです。全ての行為は意根が主導権を握り、もはや意識心の口癖のような単純なものではありません。意識が勝手に言わせておけば良いが、実行は必ず意根が決定します。意根には貪欲と吝嗇があり、言動は一致せず、むしろ矛盾します。一部の人々の深層心理的問題に対し、一般的な説得や助言はもはや効果がありません。心の奥底に入り込み、内心の病根を掘り出し、それに対処する必要があります。効果的に意根を導いて貪欲と吝嗇の煩悩を調伏させてこそ、心理的な貪吝の習気を変えることができるのです。

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