衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月05日    火曜日     第3 回の開示 合計594回の開示

看話頭の前提条件

公案を参究して悟りを開けば、明心見性を得て般若の大智慧を獲得し、真の菩薩としての実証量を具えた菩薩となる。この般若の大智慧の獲得は、菩薩の六波羅蜜を修行した結果である。よって公案参究に臨む前には、必ず菩薩の六波羅蜜を修行し、これを具足していなければならない。もし戒律を受持せず、布施による菩薩の福徳が具わらず、修行の精進度が不足し、世俗の境界に対する忍辱が足りず、如来蔵の法に対する信解が不十分で、禅定も修持されておらず、如来蔵の般若の理も充分に理解されていないならば、公案参究は苦悩の種となり、一生をかけても依然として徒労に終わるだろう。

真の菩薩となる前に、自らの心の行い・心性・心量が菩薩と相応するかどうか、菩薩の大業を担えるかどうかを点検すべきである。禅定が不足している場合、いわゆる公案参究も単に言葉の繰り返しに過ぎず、心は言葉の先頭に留まることができず、言葉の表層を巡るだけである。このような修行に何の意味があるだろうか。仏教徒の修行がすべて自己のためであり、利己的な心理を抱き、少しも他者を利する心がなく、自己中心的な狭隘さでは決して菩薩の心性と相応せず、菩薩が備えるべき福徳も集積できず、真の意味での菩薩とはなり得ないのである。

——生如法師の開示
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