衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年12月23日    日曜日     第5 回の開示 合計1122回の開示

仏陀はなぜ無色界で説法をしなかったのか

無色界天人には身体がないが、意識がある。意識があるため識陰がある。しかし、意識があるにもかかわらず、佛法を聞くことができず、佛法を思惟することもできない。身体がないことは人間の人ではないが、天界の人であり、高级生命である。受、想、行、五遍行心所法があり、八つの識がある。無色界天人にも意識の受想行があり、意根の受想行があり、第八識の受想行もある。

仏は無色界天で天人に法を講じることができるが、色界天人は聞くことができない、人間の人も聞くことができない、鬼神も聞くことができない。無色界天人は非常に少なく、またすべて外道であり、成天入定しているため、彼らに法を講じる必要は根本的にない。另一方面から言えば、二禅定では佛法を聞くことができない、何況四禅以上の禅定では佛法を聞くことも思惟することもさらにできないため、仏は無色界天で法を講じない。

二禅定は一瞬で入ることができ、その後何も知らない。出定も一瞬であり、出定後自分が剛才入定したことを知る。身体が非常に舒适、心情が特別愉悦、头脑が特別清晰となる。微弱な声音でも耳識を喚醒するため、出定する。意根にはまだ惦念する事があるため、時間が到来すると、重要的事が人に一提醒され、蚊の声でも聞くことができ、出定する。入定前、非常に嘈杂な声音中で心は速く沉静し、嘈杂な声音は越來越微弱となり、聞くことができなくなるため、人は入定する。

仏が華嚴経と地藏経を欲界天と色界天で講じ、その後人間に流传する。他の经典はすべて人間で講じるため、天人は下りて法を聞くことができ、鬼神と畜生も法を聞くことができ、度する衆生が多くなる。

——生如法師の開示
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