衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月11日    月曜日     第3開示 合計624開示

如来蔵の知は意根の知とは異なる

如来蔵の知と意根の知は、その内容がまったく異なります。たとえば意根が如来蔵を証得し、如来蔵を知ったとき、如来蔵は自分自身を証得することができず、自分自身を知りません。意根が色身は我に非ず、真実に非ずと証得したとき、如来蔵は色身が真実に非ず、如来蔵自身に非ずということを知ることができません。如来蔵の思心所が思う内容と、意根の思心所が思う内容はまったく異なり、その差は非常に大きいのです。したがって、意根が証得した法を如来蔵は証得することができず、意根の抉択決定に対して、如来蔵は同じ抉択決定をすることはできず、ただ意根の抉択に配合して随順するだけなのです。

意根が一つの法を参究しているとき、いつ参究して見出せるかを、如来蔵は知りません。しかし如来蔵は意根の思心所を了別し、因縁を了別し、業種を了別することができ、主として意根に必要な識種子を提供し、意根の思量参究に配合します。そして具体的な事相上の事については、如来蔵はいずれも了知しません。これが如来蔵と七つの識との区別です。

——生如法師の開示
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福德・禅定・智慧が異なれば、菩薩が悟る階層も異なる

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如来蔵(tathāgatagarbha)は無余涅槃(Anupadhiśeṣa-nirvāṇa)の中で心所法が存在し運行しているか否か

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