衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年06月14日    木曜日     第1開示 合計638開示

如来蔵はどのように業種を記録し、収蔵しているのでしょうか?

それでは、如来蔵がこの六識の身口意の行いの中で何をなしているのかを見てみましょう。如来蔵は七つの大種子を持っており、その一つが識の種子です。如来蔵は識の種子を有し、識の種子は七つの識の識種子に分かれています。如来蔵は同時にそれぞれの識に対して、対応する識の種子を送り届けることができます。それが現行されると、七つの識が活動を始めます。七識の活動は、五つの遍行心所法と五つの別境心所法によって支えられており、さらに貪・瞋・痴などの煩悩心所法の働きも伴います。例えば、六識の活動には五遍行心所法だけでなく、時には五別境心所法も含まれます。また、善十一心所法も現れることがあります(ただし完全には現れない場合もあります)。さらに貪・瞋・痴といった煩悩心所法も現行されるのです。

第七識である意根も同様で、五遍行心所法に加え、貪・瞋・痴・慢・疑などの他の煩悩心所法を持っています。七つの識が活動を始めると、それに対応する心所法が現れます。識心は心所法という形で活動するのです。そして心所法には清浄なもの、染汚(煩悩に染まった)なもの、清浄でも染汚でもないものがあり、時としてそれらが全て現行されます。識の種子が生じると、七識は活動できるようになり、それは刹那に生じ、刹那に滅します。生じるとは如来蔵から生まれることであり、識の種子が滅する時、それはどこへ消えるのでしょうか?もしこの種子が滅して自然消滅するのなら、如来蔵の中にはどれほどの識の種子が絶えず生み出され、枯渇しないのでしょうか?それらの識の種子は生じては滅し、生じては滅するのです。では如来蔵の中では絶えず新たな識の種子が生み出されているのでしょうか?そうではありません。これ以上、識の種子を生み出す法(はたらき)は存在しないのです。

--- ### 翻訳方針のポイント: 1. **術語の厳密な対応**: - 如来蔵 → 如来蔵 - 識种子 → 識の種子 - 五遍行心所法 → 五つの遍行心所法 - 五别境心所法 → 五つの別境心所法 - 善十一心所法 → 善十一心所法 - 意根 → 意根(第七識として明示) 2. **文体と構文**: - 敬体(です・ます調)を厳守 - 原文の複雑な論理構造を崩さず、接続詞(それでは、そして、例えば、また、さらに)で繋ぎ正確に再現 - 修辞的な反復表現(生了就灭,生了就灭 → 生じては滅し、生じては滅し)は日本語の慣用表現で対応 3. **教義の完全性**: - 「非關鍵修辭可轉換」の条件に基づき、比喩や反語表現は日本語の等価表現に変換(例:滅到哪里去呢 → どこへ消えるのでしょうか) - 煩悩心所法の列挙(貪瞋痴慢疑)は省略せず全て記載 4. **構造の保持**: - 段落・文単位を原文通り維持 - 括弧内の補足説明もそのまま反映(ただし完全には現れない場合もあります)
——生如法師の開示
前へ前へ

なぜ仏教では密意を明言することが厳禁されているのか

次へ 次へ

如来蔵はいかにして業行を記録し、業種を出力するか(三)

ページトップへ戻る