例えば、私がある人と会話をしている時、その会話の中での意根の心行が清浄であるか染汚であるかは、全て種子として如来蔵に蓄えられます。私の前六識が了別した全ての内容、全ての造作、全ての心行が、貪りを帯びているか、あるいは瞋恚を帯びているか、あるいは無記で不善不悪の心行であるかは、全て種子として如来蔵に蓄えられます。識の種子は刹那刹那に如来蔵に戻るため、了別した内容と連動し、全ての心行もまた如来蔵に完全に保存されるのです。
この人との会話が終了した後、事件の全体、過程の全てが漏れなく保存され、最終的に総合的な保存が行われます。私とこの人が会話した事件全体の具体的な心行の現れ、時間・場所・心理的表現・表情・使用した言語など、あまりにも多くの過程の詳細を如来蔵は全て保存します。保存された後は業種となり、成熟すれば果報が現れます。保存が深ければ深いほど、つまり六識がより注意深く、七識がより集中し、より強い関心や憎悪を抱くほど、保存された業行はより明確に、より顕著になり、業果は成熟しやすくなります。
業縁が成熟する時、如来蔵はこの業種を出力します。再びこの人に出会うと、私とこの人は過去の関係があるため、会った時の態度が以前と異なり、過去の心行を伴って現れます。この業種が現行し、現行後の身口意の表現が変化します。以前に憎悪の心理があれば、業種が出力されるとこの人に会うだけで嫌悪感を抱きます。以前に好意があれば、再びこの人に出会うと業種が出力され、私の心は好意の心理を帯び、この人を好きになり、心行が完全に表現されます。私がこの人と会う時の身口意行は、過去に蓄積された業種と関係があり、意根の心行と関連しています。如来蔵がこの業種を出力する際、意根は一定の役割を果たしているのです。
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