如来蔵は十八界に遍満し、十八界とは六根・六塵・六識である。すなわち六根の作用の中に如来蔵を見出し、六塵の顕現の中に如来蔵を見出し、六識の活動の中に如来蔵を見出すことである。これを生縁処処と称する。六識の活動は受想行識の四陰の活動を含み、色法たる五根・色声香味触・法処所摂色に如来蔵の顕現があり、心法たる六識に如来蔵の顕現がある。これに先立ち色法の虚妄を観じ、心法の虚妄を観ずれば、五陰が我ならざることを証得し我見を断つことができる。その後坐禅に参究すれば悟りを得やすくなる。
徹底的に悟りを得んとすれば、十八界のあらゆる法に如来蔵の働きを見出さねばならず、いかなる法も見逃してはならない。かくして智慧は非常に深く鋭くなる。欲界において一切の法は六識の作用であり、識あれば一切の法あり。故に六識の体性作用を徹底的に究明し、その後に悟れば完全に悟り得る。これを大悟が一片となると称し、小さな断片のみを悟るのではない。断片的な悟りでは智慧は極めて浅く、如来蔵の運行を観察することはできない。
よって仏法を学ぶには必ず小乗の基礎を固め、土台を厚く固めておき、その後大乗法を参究すれば円滑に進み、悟りを得やすく、また徹底的に悟り得て、得られる智慧もより深遠なものとなる。
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