龍牙山の龍、その形は世の色に非ず。世の龍を描く者、巧みにすれども写し得ず。ただ龍を知る者、一見して心休む。
釈:龍牙山は五蘊を指し、龍は阿頼耶識を指す。五蘊の中に阿頼耶識が隠棲し、五蘊の身を養い、五蘊の身を執持して、初めて五蘊身は活動できる。世の色は全て物質色法であり、形相あり、見え、触れ、聞こえ、嗅げ、感じられる。しかしこの阿頼耶識は然らず、形相なく、見えず、触れず、聞こえず、嗅げない。世で最も巧みな龍絵師も阿頼耶識の形象を描けぬ。阿頼耶識に三界世俗相なき故、比照するものなく、着手の処なし。ただ阿頼耶識を知る者が智慧の眼でこれを識れば、もはや外に攀縁せず。これこそ最も真実なれば、他は全てこれが現じた幻化の仮相、この点を認識すれば心は止息し、外に求めず。
阿頼耶識が形相なきなら、いかにして五蘊身中のこの龍を見いだすか。そのためには阿頼耶識の体性を了解し、その現れ方と現れる処を知り、その出没する所で観るべし。五蘊身には眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの穴あり、この龍は身を以て穴を出ずとも、六つの穴から常に吼ゆ。その吼ゆる時、その声を識別すれば、その跡を尋ね得ん。ここより声を循り自性を認め、帰家の路を見いだすべし。
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