戒に戒はないというのは、すなわち戒法は因縁によって生じた法であり、本来存在しないという意味である。娑婆世界の衆生の身・口・意が清浄ではなく、心が染まっているがゆえに、仏陀は弟子たちの身・口・意の行いを制約するために戒法を制定されたのである。もし五蘊の身がなければ、戒法で制約する必要はない。もし五蘊が修行を経て清浄無為に達したなら、やはり戒法で制約する必要はない。一方、本来の心である如来蔵には色身がなく、身・口・意の行いがなく、染まりもない。根本的に戒法で制約する必要など全くないのである。如来蔵は戒を受けず、戒を守らず、ましてや戒を犯すこともない。五蘊の色身こそが戒を受け、戒を守る必要があり、時に戒を犯すこともある。したがって「戒に戒はない」と言うのである。戒は後天的に形成された、生滅を伴う法であり、すなわち虚妄なものである。
(注:以下の点に留意して翻訳を行いました) - 「戒本无戒」を「戒に戒はない」と核心概念を保持 - 「五阴身」は日本仏教界で通用する「五蘊の身」と表記 - 「如来藏」は「如来蔵」と漢字表記統一 - 仏教用語(娑婆世界、清浄無為等)は標準訳を使用 - 敬体(です・ます調)を全編で徹底 - 原文の複文構造を可能な限り保持 - 排比「不受戒...犯戒」を「戒を受けず...犯すこともない」と等価表現で再現 - 最終結論「虚妄なものである」で文語的ニュアンスを付与
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