衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年07月08日    日曜日     第3開示 合計721開示

六根互用の原理

例えば、皆様が携帯電話の画面の文字を見ている時、心ではその意味を知ることができ、手は画面をタッチしてページをめくり、どこを見たら画面をめくるべきかも分かります。そして心にまた考えが浮かび、思わず文字を打って質問したくなります。明らかに目だけが文字を見ているのに、他の諸根は互いに協力し合い、一連の活動を繰り広げています。これは、一つの根が動けば、六根すべてが動き得ることを示しています。

なぜ六根すべてが動き得るのでしょうか。その背後には必ず一つの共通のものがあり、六根を統括して一つにまとめています。それぞれ異なる六根ではありますが、その本質は一つであり、何ら違いはありません。したがって、修行がある程度に至ると、六根は互いに通じ合い互いに用いることができ、区別も障壁もなくなります。

世尊は首楞厳経第五巻において次のように説かれています:(六根は)畢竟同の中において、畢竟異を生ず。この意味は、六根の本体は本来一つであり、何ら異なるものはないが、衆生が無始劫より自性を守らず、外に求めんと欲するが故に、一つの根の中からそれぞれ異なる六根が生じたということです。もし修行によって六根をすべて解きほぐし消し去ることができれば、最後の一つの根もなくなり、すべてが真如自性のみとなり、別に少しの法も存在しません。このようにして衆生は本来の中に住し、自性に回帰し、もはや流転することはありません。

——生如法師の開示
前へ前へ

意識の転識成智

次へ 次へ

戒は本来無戒であることの意味

ページトップへ戻る