末那識を観察し、末那識を了知するのは意識である。末那識が縁る法が多く明確に了別できない時は、意識を借りて細かく了別する必要がある。
しかし末那識にも証自証分があり、自らを証明し自らを発見することができる。末那識が特に自信を持って自らを信じ、固く自らに執着するのは、まさに末那識の証自証分であり、自らを弁護し自らを守り、自らを反観する能力を有している。
末那識は自らを反観し観察し了知できるが、意識はこれを知らず、智慧がないからである。我々が一切法を知るのは依然として意識の知であって、意識に智慧がなければ、一切法が存在しても知ることがない。
意識の智慧が増長する時、一切法を知る範囲がようやく拡大し、次第に多くを知るようになる。特に意識が識が智に転じた後は、その智慧が末那識の機能作用を観察了知し、さらに微細に第八識の機能作用を了別できる。意識の了知能力と観察能力と智慧は、仏地に修して初めて円満具足し、もはや増長することがない。
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