仏教を学び始めたばかりの人の中には、我見を断つことを思惟する際に、心に恐怖や不安を抱く者がいます。これは実際には意根の恐れです。なぜなら、意根は無始以来ずっと五陰を自分であると考え、執着し続けてきたからです。ある日四聖諦に触れ、五陰が自分ではなく空であると教えられると、意根は最初どうしても受け入れられず、この事実真相を認めたくないため、恐怖を感じ、意識が再び思惟や観行を行うことを許さず、現状を維持して引き続き何かに執着できることを望むのです。
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