各人が接触し得るものは全て個人の私有する内面的な塵境であり、七つの識心の外に共有される外面的な塵境と緊密に連結している。外部で共有される塵境が変化すれば、私有の塵境も必然的に同時に同じ変化を生じる。私有は第二の幻化を表し、幻のまた幻である。外部の共有も内部の私有も、共に幻化虚妄にして真実性なく、全て如来蔵の鏡が映し出す影像である。ただ鏡影には一重の影と二重の影があり、塵境の作用に真の作用と仮の作用の区別があるに過ぎない。
一重の影は比較的原初的で、より真実味があり鮮明で実用性を帯びている。二重の影は個人の私有する鏡が再び一重の影を映し取り、自らの単独の鏡面に顕現したもので、第一の影ほどの鮮明さ・真実性・実用性を有さない。しかしこれすら衆生にとっては極めて貴重なもので、皆この二重の影を宝物と見做し、貪愛して止まず、執着して已まない。実体を見極められぬ者がかくの如き所以である。真に鏡像観を証得するには初地満心位に至らねばならず、この時初地で修すべき法は修了するのである。
13
+1