衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年08月08日    水曜日     第4開示 合計781開示

初学仏者が断我見 (satkāya-dṛṣṭi-prahāṇa) を思惟する時に何故害怕・恐怖を感じるのか

仏法を学び始めたばかりの人の中には、断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga) を思惟する際に、心にいくらかの恐れや怖れを抱く者がいますが、実際には意根が恐れているのです。というのも、意根は無始劫以来、五陰 (pañca-skandha) を我とみなしてきて、ずっと五陰を執取 (upādāna) し続けてきたからです。ある日、四聖諦に触れ、神様に五陰は我ではなく空であると告げると、意根は最初はどうしても受け入れられず、この事実の真相を受け入れたくないので、恐れを感じ、意識がこれ以上思惟観行 (vipaśyanā-caryā) することを許さず、現状を維持し、引き続き執著できることを望むのです。

——生如法師の開示
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如来蔵の一重鏡影と二重鏡影

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意識が制御できない心行はすべて意根のものです

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