衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年08月13日    月曜日     第1 回の開示 合計787回の開示

妄心を真如と認めるべからず

因位とはまだ仏陀になっていない段階、つまり菩薩の位を指し、果位は既に成就した仏地の位を指します。衆生が因位の菩薩位において悟る心は、必ず仏地の円満覚醒した心と同一でなければなりません。もし二つに分かれるなら、因位の心は仏地に至ることができず、それは生滅を繰り返す妄心であり、真実の心である如来蔵ではありません。菩薩が心を明らかにする時に悟るべき心は、生滅のない真実の心でなければならず、生滅性を持つ七識の妄心であってはなりません。心を明らかにして道を悟る際には、真実を正しく悟らねばならず、誤ってはなりません。誤って悟れば仏陀になることはできません。

多くの人々は意識心が一時的に妄念を離れた状態を、そのまま本来清浄な自性如来蔵だと決めつけますが、この誤解は甚だしいものです。このように賊を子と認めるならば、自ら家宝を奪い、最終的には無一物となり、輪廻に迷い、解脱を得られず、真実の利益も得られず、ましてや成仏など到底叶いません。

成仏の真体は自性如来蔵であり、この心は仏地に至るまで滅びることがありません。妄心は仏地まで不変不滅でいることはできず、また何ら真実の功徳もなく、全て如来蔵が与える機能作用です。菩薩の時に悟るべき心は、本来から清浄で妄念のない自性如来蔵でなければなりません。修行によって無理に妄念を抑え込み、その抑圧した心を真如と見做すような手段を取るべきではありません。この偽りの真如は仏地の常楽我浄を具足した真如ではなく、この賊を実の子と認めてはならず、そうでなければ成仏できません。

——生如法師の開示
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