識の種子が生じた時、初めて五蘊の機能作用が現れます。生じなければ五蘊の機能作用も存在しません。ではこの五蘊の一切の機能作用は真実なのでしょうか。私なのでしょうか。私はこのように厳格に限定され、支配されているのでしょうか。私は生滅を繰り返し定まらない存在なのでしょうか。このように捉えどころのない五蘊の機能作用が、真実の私と言えるでしょうか。
食事を摂らなければ生きられず、食べなければ餓死する五蘊が、私なのでしょうか。空気があって初めて生命活動を維持でき、空気がなければ生命活動が停止する五蘊が、私なのでしょうか。気血が補充されれば起居動作ができ、気血がなければ枯れ木のように硬直する五蘊が、様々な因縁条件によって厳しく制限された五蘊が、私なのでしょうか。このように自在ならず自主性のない五蘊の身に、何の貪り愛おしむべき価値があるでしょうか。
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