いわゆる禅定とは、意根を調伏する程度を指します。意根が攀縁を少なくするか、あるいは全く攀縁しなくなった時に、初めて禅定が現れます。智慧から入ることで禅定を修めることも可能です。心の周囲にある六塵が虚妄であり、自我の見聞覚知が虚妄であり、思想の念頭が虚妄であり、感覚が虚妄であることを理解し、一切の法が虚妄であることを悟れば、心の攀縁は自然と少なくなります。心の攀縁が少なくなり、心の念も減れば、仏法を思惟する精力を集中させることができ、そうして仏法を証得しやすくなります。これが正念によって禅定に入る方法です。正念とは仏法に対する正しい認識であり、五蘊が虚妄であり空であることを知り、五蘊の身の中に自性清浄心が永遠に生滅することなく運営されていることを理解することです。時節因縁が具われば、自性清浄心を証得することができるのです。
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