(一)原文:頌に曰く。かくの如き諸縁起十二支。三際前後際各二。中八は円満に拠る。論に曰く。十二支とは。一に無明、二に行。三に識、四に名色。五に六処、六に触。七に受、八に愛。九に取、十に有。十一に生、十二に老死なり。三際と言うは。一に前際。二に後際。三に中際。即ち過未。及び現の三生なり。如何なる十二支が三際に建立されるや。謂わく前後際各二支を立て。中際八支なり。故に十二を成す。無明行は前際に在り。生老死は後際に在り。残る八は中際に在り。此の中際八は一切有情此の一生中皆具有するか。皆具有せず。若し然らば何の故に八支有りと説くや。円満に拠る者なり。此の中の意は説く。補特伽羅が一切の位を歴るを名づけて円満者と為す。中夭せる者及び色界無色界の者に非ず。但だ欲界の補特伽羅に拠るなり。
釈:十二支縁起法は三際に分かたる。前際前世に二支:無明と行。中際現世に八支:識・名色・六入・触・受・愛・取・有。後際後世に二支:生と老死。十二支は如何にして前後際各二支・中際八支を区別し、十二支を合成するや。無明と行は前際に、生と老死は後際に、残る八支は中際に在り。中際八支は一切有情が一生の中に皆具有するか。皆具有せず。若し然らば、何の故に八支有りと説いて五陰身の円満なることを証するや。此の意は五陰身が一切の位を歴るを以て円満と為す。中夭の五陰身及び色界・無色界の五陰身に非ず。ただ欲界の五陰身に八支有るを以て円満と為すなり。
原文:大縁起経に説く。具有するが故に彼は説く。仏阿難陀に告げて言く。識若し胎に入らざれば、増広大を得るや。不なり世尊。乃至広説。時に但だ二分縁起を説く。一に前際摂、二に後際摂。前七支は前際摂。無明より受に至るを謂う。後五支は後際摂。愛より老死に至るを謂う。前後因果二分摂の故なり。
釈:大縁起経は八支皆具有するを説く。故に円満なりと説く。仏が阿難に告げて曰く、阿頼耶識若し胎に入らざれば、名色は増広大を得るや。阿難答え曰く能わず。然る後広く其の原因を説く。時に但だ二分縁起を説く。一分は前際摂、第二分は後際摂。前七支は前際摂、無明支より受支に至る。後五支は後際摂、愛支より老死支に至る。前際後際因果は二分摂の故なり。
原文:無明等の支は何の法を体と為すや。頌に曰く。宿惑を無明と謂う。宿業を行と名づく。識は正に生蘊を結ぶ。六処の前を名色とす。眼等の根より生ずるを六処とす。三和の前を触とす。三受の因異なるを未了知名づけて触とす。淫愛の前を受とす。貪資具淫愛を以て諸境界を得んが為に、遍く馳求するを取と名づく。有は正に能く当に有る果業を造るを謂う。当に有るを結ぶを生と名づく。当に受くるに至るを老死とす。
釈:無明等の支分は何の法を体とするや。頌に曰く、宿世の思惑を無明と謂い、宿世の諸業を行と名づく。六識の造作能く後世の五蘊を生ず。六処の前の支分は名色、名色より眼耳鼻舌身等の五根を生ず。根塵識三者和合の前の支分は六処、受を生ずる前因異なるにより受に三種の区別あり。未だ了知せざる前の支分は触、淫愛を生ずる前の支分は受、貪りて淫愛を生じ、諸境界相を得んが為に遍く馳求するを取と名づく。三界有は正に造作する五陰身、業に随って遷流し業果報有り。後世の有を結ぶを生と名づき、終に当に老死苦を受く。
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