衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月15日    月曜日     第3 回の開示 合計3189回の開示

父子合集経講話(一五一)

涅槃とは何か。

涅槃の道はこのように歩むべきである。涅槃が最初に依り所とするのは一真法界であり、阿頼耶識という法である。阿頼耶識がなければ四種の涅槃を説くことはできない。阿頼耶識如来蔵の法界によってこそ、一切の法は空寂無相であるからこそ、願求も存在しない。これらの法理は虚空際に遍満し、虚空のいかなる世界にあってもこの真理は変わらない。一切の法は空であり、この理は全ての虚空の果てに至るまで適用され、普遍的なものである。

涅槃には四種ある。有余依涅槃、無余依涅槃、自性清浄心涅槃、無住処涅槃である。小乗の涅槃とは一切の法を滅尽させることを指し、涅槃は仮の名称に過ぎず、不生不滅の状態に至ることを意味する。これは単なる性質・状態であり、実体ある法ではない。

実体ある法とは如来蔵である。如来蔵の本体に現れる不生不滅の性質、不動の性質こそが涅槃である。阿羅漢が無余涅槃に入る時、阿羅漢という存在は消滅し、ただ如来蔵の心のみが残り、不生不滅の状態に安住する。これを涅槃と呼ぶ故に、涅槃もまた仮の名称である。ただ実相の心、如来蔵の心こそ真実であり、真の法、実在の法である。その他は全て仮の法に過ぎない。

仏が『大般涅槃経』で説かれた通り、真如もまた一つの性質・状態である。真如とは阿頼耶識如来蔵が現す真実かつ如如たる性質であり、一つの名称である。実相とは如来蔵の実在する相であり、実在の相に現れる真実の性、如如不動の性質が真如である。故に涅槃は空と共に行じ、空が尽き果てた時、無余涅槃に入る。この空とは如来蔵の不生不滅の境界と状態に安住することを指し、これを涅槃と称するのである。

——生如法師の開示
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