衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年03月16日    火曜日     第1 回の開示 合計3190回の開示

阿毘達磨倶舎論 第九巻(十二因縁の部)

頌に曰く。かくの如き諸縁起十二支は、三際に分かれ、前際と後際に各々二支、中際に八支が配置され、円満を具える。論じて曰く。十二支とは、一に無明、二に行、三に識、四に名色、五に六処、六に触、七に受、八に愛、九に取、十に有、十一に生、十二に老死なり。三際とは、一に前際、二に後際、三に中際、即ち過去・未来・現在の三世を指す。如何にして十二支が三際に建立されるか。謂わく、前後両際に各々二支を立て、中際に八支を置く故に十二支を成す。無明と行は前際に、生と老死は後際に、残る八支は中際に属す。この中際八支は一切有情がこの一生に皆具えるか。皆具えるものにあらず。若し然らば、何故に八支を説いて円満の根拠と為すや。ここに意図する所は、補特伽羅が一切の位を経歴する者を円満と名付け、中夭の者や色界・無色界の者を指さず、ただ欲界の補特伽羅を根拠とする所以なり。

釈:十二支縁起法は三際に分けられる。前際(前世)に二支:無明と行。中際(現世)に八支:識・名色・六処・触・受・愛・取・有。後際(来世)に二支:生と老死。如何にして十二支が三際に各二支・八支を配するか。無明と行は前際に、生と老死は後際に、残り八支は中際に属す。中際八支は一切有情が一生において皆具えるか。皆具えず。若し然らば何故八支を以て五蘊身の円満を証するや。これは五蘊身が一切の位を経過すれば円満と為す意であり、中夭の五蘊身や色界・無色界の五蘊身を指さず、ただ欲界の五蘊身が八支を具えることを以て円満と為す。

大縁起経は「具足す」と説くが故に、仏は阿難陀に告げたまう「識が胎に入らざれば、増広大を得るや」。阿難「得ず、世尊」。乃至広く説く。時に二分縁起を説く。一に前際摂、二に後際摂。前七支は前際に摂し、無明より受まで。後五支は後際に摂し、愛より老死まで。前後因果の二分に摂せられる故なり。

釈:大縁起経は八支を具足すると説く故に円満と為す。仏が阿難に告げたまう「阿頼耶識が胎に入らざれば、名色は増広大を得るや」。阿難「得ず」。更に広くその因縁を説く。時に二分縁起を説く。前際摂と後際摂。前七支は無明より受まで、後五支は愛より老死まで。前後の因果は二分に摂せられる故なり。

無明等の諸支は何を体とするや。頌に曰く。宿惑を無明と謂い、宿業を行と名づく。識は正に生蘊を結び、六処の前を名色とす。眼等の根を生ずるより、三和の前を六処とす。三受の因に異なり、未だ了知せざるを触と名づく。淫愛の前に在るを受とし、貪欲を資具として淫愛を生じ、諸境界を得んが為に遍く馳求するを取と名づく。有は正に能く造り、当来の果を牽く業なり。当来を結ぶを生とし、当に老死を受くに至る。

釈:無明等の諸支は何を体とするか。頌に曰く、過去世の惑を無明とし、過去世の諸業を行と称す。識の働きが五蘊を生じ、六処以前を名色とす。名色より眼等の根が生じ、根・境・識の三和合以前を六処とす。受の生因に差異あり、三種の受を区別す。未だ了知せざる段階を触とし、淫愛発生前を受とす。貪欲により淫愛を生じ、諸境界を得んと求めるを取とす。有は現に造業する五蘊身を指し、業果を牽く。来世を結ぶを生とし、終に老死を受く。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経講話(一五一)

次の記事 次の記事

雑多な思い

ページのトップへ戻る