初禅定は修得が比較的難しく、特殊な因縁条件がなければ成就できません。例えば、我見を断じて声聞の初果を証した直後、あるいは直ちに明心または見性し、内心に喜悦が生じ、覚明が現れ、煩悩が軽微で睡眠が少なく、五蓋を除きやすい状態にある場合です。五蓋とは財・色・名・食・睡、厳密には貪欲・瞋恚・掉悔・睡眠・疑蓋を指します。内心で五蓋に執着しなければ、容易に五蓋を除くことができ、五蓋が除かれれば初禅定が直ちに現前します。
もし証果時や明心時に禅定の功夫が不十分で、内心の喜悦が薄く、覚明の持続時間が短く、煩悩が効果的に調伏されていない場合、五蓋を除去できず初禅定は生起しません。そうして覚明の時期を過ぎ心が懈怠すると、再び初禅定を修めようとしても極めて困難になります。多くの人が悟りを得た後も一生涯初禅定の影さえ見られないため、悟前の禅定修行が極めて重要です。
定力と福德が不足している場合、たとえ明心してもその後の進歩は遅く、定力不足のまま明心すれば覚明時間が極めて短く、後の禅定は生起し難く、貪瞋痴の煩悩も軽減されません。定力不足のため観行の智慧も生起し難く、多くの法を観じ得ません。証果と明心は必ず優れた定力下で獲得すべきであり、その後禅定が迅速に生起し、この機会を借りて間もなく初禅に至ることができます。この時期を過ぎると初禅定は生起し難く、二果三果も得難く、禅宗の二三関も突破し難くなり、今生において初地に入る望みは絶たれます。
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