衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月13日    土曜日     第2 回の開示 合計3181回の開示

意根が文字言語と相応しない意味

問:意根は言語文字と相応しないとすれば、意根はどのようにして言語文字の意味を知るのでしょうか?

答:意根が文字言語と相応しないというのは、意根が自らの思想や見解を文字言語で表現できないという意味であり、文字言語を理解できないわけではありません。意根は全体を統括する主導的な識である以上、六識を指揮・調整する権能を有しており、自ら話すことや文字で表現することはできなくとも、意識に話させ、意識に文字表現させることができます。多くの処理不可能な事柄も六識の協力を得て達成されます。例えば、大統領は精力に限りがあり分身の術を持たないため、国家の大局を掌握するのみで、市場調査や統計分析などの具体的業務に直接携わることはできませんが、部下を任命してこれらの業務を遂行させることができます。意根も同様に全体を統括し、具体的な事柄を自ら処理することはできず、五俱意識や独頭意識を用いて細々とした事務を処理し、意根は報告を聞くだけでよいのです。報告を聞く過程で、思心所・慧心所・勝解心所を用いて判断と選択を行い、その後命令を発して六識に指示通り問題解決を図らせます。

意根は暗唖者に喩えられ、言葉を発することはできなくとも人の話を理解できます。第八識も同様に、言葉を発することはできず言語文字に通じませんが、独自の了別方式を有し、七識とは異なる独特の情報を了別します。意根の思は意識の思に劣らず、もし大統領が時間と精力を割いて市場調査に専念すれば、部下よりも優れた成果を上げられるかもしれませんが、ただ時間がないだけです。意根が六識に代わって事に当たれば、六識を凌ぐ可能性がありますが、現在は精力が不足しているに過ぎません。だからこそ修定を重ね、修定を重ね、さらに修定を重ねる必要があり、これにより意根に時間と精力を割き、集中に集中を重ねることで、大智慧が湧現するのです。

意根を一つの識、あるいは一人の人間と見做せば、意根の体性と心所法を理解できます。意識や六識は意根に代わって事を為す存在であり、意根の智慧が十分であれば、六識の行う全ての事柄を明瞭に把握できます。もし智慧が不足し勝解力も弱ければ、誤解が生じたり六識の作法を理解できず、六識の所為が明らかでなくなります。もし意識が表現を不得手としたり不明瞭な表現をすれば、意根も充分に理解できず、意識の心思を明らかにすることはできません。

——生如法師の開示
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