正月や祝日の際には、亡くなった怨親債主や家族眷属に施餓鬼を行ってもよい。彼らにも喜びの年を過ごさせ、妬みから病気を引き起こされるのを防ぐためである。普段でも定期的に施食を行うことができる。食事後に茶碗に残った七粒の米粒と野菜の汁や葉を供えれば十分で、施食に用いる呪文は朝夕の勤行本に記載されている。
施食にはご飯や饅頭の屑を少量用い、観想力を最大限に発揮する。観想が適切であれば呪文の加持力が強まり、飲食が無量に変化し、利益を受ける衆生が増え、結ばれる善縁が大きくなるほど、後の福徳も増大する。小指の先ほどの米粒に汁物を添えても、七粒の米だけでも構わない。この少量の供物を屋外の台やベランダに置き、呪文を唱えると鬼神が食事を受けに来る。呪文は次の通り:「汝等鬼神衆、我今汝に供えを施す。此の食十方に遍く、一切の鬼神共に」(1回)、「オン・ムリリョウ・ソワカ」(7回)。唱えながら観想し、供えた飲食が色香味を備え、娑婆世界・全ての山々・山麓・川辺・四海の岸辺・須弥山の下まで広がる様を想像する。観想の範囲が広いほど飲食が多く変化し、救済される衆生が増える。七回の呪文後に三度指を弾いて施食を完了させる。
食事の残り汁を衆生に施すことも可能。食後に皿を洗う最初の汁に飯粒や野菜屑が混ざった水を、七回呪文を唱えながら観想し鬼神に施す。桃や石榴の木周辺を避けて台に撒く。呪文:「此の洗い水を以て、天の甘露の如き味を諸鬼神に施し、悉く飽き満たされん」。観想では洗い水が甘露のように娑婆世界の高山大海・全ての空地に満ちる様をイメージしつつ、「オン・マキュウラ・ソワカ」を七回唱え、七回に分けて水を撒く。
体力が弱い者は霊的な存在に影響を受けやすく、観想が不十分だと鬼神が食事を得られず嗔心を起こし、体調不良を招く場合がある。心配な場合は施食を控え、観想力を養ってから行うとよい。
無量劫を超えて続く父母や眷属の大多数は餓鬼道を中心に三悪道で苦しみ、飲食も衣服もない。私たちは毎日美味しい食事をしているのに無駄にしてしまいがちだ。指先ほどの食事を節約すれば彼らを満腹させられる。苦しむ衆生のため日々の余剰を施すことは自他共の利益となり、過去世の父母師長への報恩でもある。私たちが仏法で解脱の希望を得ても、無量劫の父母や傷つけた衆生は依然として苦しんでいる。常に回向し、経典や呪文を多く唱え、善行の全てを彼らに振り向けるべきだ。彼らの福徳が増せば三悪道から脱し、人身を得て仏法に遇う機縁が生まれ、輪廻から解脱する道が開ける。これこそ衆生救済の実践である。
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