衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月10日    水曜日     第2 回の開示 合計3171回の開示

重大な漏は追求する時間の長短によって判断されるのでしょうか

ある人が「欲界愛を断つには長い時間を要し、さらに重い作為の相がある、これが重大な漏れである。貪り心の重い者が結婚すれば解決でき、結婚に要する時間は短く、軽微な漏れに属する。長い時間をかけて追求するものは重大な漏れ、短時間で追求するものは軽微な漏れである」と説いています。この者の説法は事実を歪曲し、仏教の四聖諦の理と解脱の理に背いています。

もし長時間をかけて追求することが重大な漏れであるならば、凡夫が三大阿僧祇劫の時間をかけて成仏を追求することは重大な漏れではないのでしょうか。欲界愛を断つことが重大な漏れであるならば、無量劫にわたって欲界愛を保持し、無始劫以来六道において無量の貪瞋痴煩悩業を造作し、無量の生死苦を受けることが重大な漏れでないと言えるのでしょうか。貪欲心を解決する方法は結婚であり、苦・空・無常・無我を観じて解脱を得ることではないのでしょうか。まさか結婚が欲界愛を解決する方法でしょうか。では瞋心を解決する方法は何か、一瞬にして瞋りの対象を殺害すれば瞋心がなくなるのでしょうか。

凡夫が一瞬で人を殺害するのに要する時間は極めて短く、これは重大な漏れではないのでしょうか。貪愛煩悩に従うことは重大な漏れではないのでしょうか。このように言うならば、仏陀が煩悩深重な娑婆世界に来て解脱法を説くことは無意味であり、衆生は煩悩欲求に従って解脱するのでしょうか。

漏れの重大性は時間の長短で測るのか、それとも煩悩の軽重で測るのか。極めて短時間の貪欲は重大な漏れではないのでしょうか。貪欲を解決する方法は結婚でしょうか。瞋恚を解決する方法は殺人でしょうか。結婚こそが貪欲の現れであることを誰が知らないでしょうか。無始劫来、衆生が人として生を受ける度に結婚を繰り返しながら、依然として貪欲に囚われているではありませんか。この貪欲のために生死を重ねて無量の苦を受けることは、極めて明白な事実ではありませんか。

この者は真に仏法を信受しておらず、高座に上って善知識を装い、衆生に貪欲に従い、貪瞋痴に従い、享楽的に生きるよう教え、苦集滅道を修学せず、貪欲瞋恚を断じないよう勧めています。それは多大な時間を要し割に合わないから、時を移さず享楽すべきだと言うのです。外道がこのように説くならまだしも、これは自ら善知識や真の善知識を称し、解脱の道理を説く者が、衆生を六道に押し留めて自らと共に貪欲に耽らせようとする明らかな企てです。各人が造る不善業は自らの足を石で打つが如く、天に向かって吐いた唾が自らの顔に落ちるようなものです。古人は一字の誤りで野狐身に堕ちましたが、この者の誤りは極めて甚大で、その果報は恐るべきものとなるでしょう。

——生如法師の開示
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