問:主観的に故意に布施を行うことの果報は何でしょうか。
答:主観的に自発的に布施を行うことは、個人が福徳を修めることであり、来世の果報は当然福を得ることです。その中で他者の利益を侵害せず、他者が利益を得ることを妨げず、かつ布施の対象も利益を得るため、結果として双方が利益を得るのです。もし仏道を成じ衆生を救済するために福徳を修める心を発すれば、現世来世の福徳はさらに大きくなります。何のためでもなく、何も求めず、ただ布施の機縁に遇って縁に従い布施を行い、縁に応じて布施を実践し、心を空ずるならば、この福徳はさらに大きく、無為の福が最も大きいのです。これは『金剛経』において仏が説かれたことです。
布施行を修めるには次第があります。まず自らが福を得るために布施を修め、次に心をさらに広くして衆生が利益を得るために布施を修めれば、この布施は波羅蜜となり解脱の彼岸に至ることができます。さらに心を広くして心を空無の願とすれば、修めるのは無為の布施となり、仏の記別を受けることができます。心の広狭は全て福徳によって決まり、福徳が小さければ心量も小さく、福徳が大きくなれば心量も広大になります。よって菩提心を発し大願を立てることも、福徳の支えによるのです。福徳が大きくなれば視野が広がり遠くを見通し、智慧が広大無礙となるのです。
11
+1