衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年02月15日    月曜日     第2 回の開示 合計3099回の開示

気の観行を通じて身見を断つ

問:禅定を修める際、常に気の動きによって深い定に入ることができません。気を観じて修行し、身見を断ち切る突破を得ることは可能でしょうか。

答:身体内の様々な気は物質的な色法です。もし気の生住異滅を観じ、苦・空・無常・無我を悟ったとしても、それは色蘊の我見を断ずるに留まります。識心の我見は未だ断じ得ません。しかし身体の気を明晰に観じることは極めて善き修行です。一点を以って全体を観じ、全身の色法を明らかにし、その来龍去脈を知り、生滅変異の無常を証得すれば、色身の我見を断ずるのみでも大いに意義あることです。煩悩が軽減された後、識心の苦集滅道を観ずれば、より容易になるでしょう。

如何にして気を観じて身見を断ずるか。俗に「一息続かずして気絶し、生死を分かつ」と申します。気が色身にとって如何に重要かが分かります。気は身体に必要な酸素を運び、血液循環を促します。気血相まって色身の生存を支える養分となるのです。気血の潤い無くして色身は必ず滅びます。気は四大種子によって構成される色法で、風大を主とします。故に気は流動性と遍在性を具え、全身を巡ります。一旦どこかで滞れば、その部位に病障が生じます。気が四大から成る色法である以上、それは生滅変異する無常の法です。気の無常性・変異性・空性を観じれば、即ちそれが苦性であり、苦性即ち我にも我所にも非ざると悟ります。気が我ならざるが如く、気によって支えられる色身もまた然り。生滅変異して無常、苦空無我。この気の観点より観行するも、また身見を断ずる道となるのです。

——生如法師の開示
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