常に霊抜きや供養を頻繁に行う寺院は非常に混乱しており、出家者が安心して修行することができません。僧侶の修養が普遍的に不足し、修行の力が弱く、道行きも未熟であるため、衆生を救済する力がなく、供養される霊界の衆生は根本的に救済されず、寺院に残ってトラブルを起こします。出家者は体調を崩すか、煩悩が多く、互いに対立が絶えず、修行に専念できず、正常な修行は不可能となります。特に供養専門の寺院では、救済されない霊界の衆生が多すぎて寺院が混乱し、霊界の衆生が寺院に滞留して転生できず、集まるばかりで十分な供養も受けられず、寺院で騒動を起こし、最終的に寺院が閉鎖される結果となりました。これが霊抜きや供養の帰結です。
主にこうした事柄に携わることで、僧侶自身が安心して修道に専念できず、業障に引きずられ、自らの業障も軽くないため、修行自体が容易でない上に、他人の負うべきでない業障を背負うために時間と労力を費やさねばならず、どうして修行に適した心境を保てましょうか。僧侶に自分の怨親債主を供養させ、自らの業障を負わせることは非常に理不尽な要求であり、たとえ補償を支払ったとしても、その金銭と業障を比較すれば、いかなる金額も比例関係にありません。生死の大事が重要か、わずかな金銭を得ることが重要か、知恵ある者なら判別できるはずです。故に寺院で金銭を支払って出家者に家族の供養を祈願してはなりません。いかなる金額も不足であり、重要なのは金銭の問題ではなく、こうした行為は出家者の業障を増やし、正常な修行を妨げ、生死の苦から解脱することを不可能にします。仏典に説かれていないこと、仏在世時に行われなかったことは、強いて行うべきではありません。
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