身識と身識によって造られる業行は皆空なり
身識そのものは空であり、空が来ては空が去り、掴むことも留めることもできず、生滅し幻化してやまない。造作された業行は空であり、初識もまた空である。もし識が滅したならば、滅というこの現象そのものもまた空であり、真実に一つの滅法があるのではない。誰がそれを滅しえようか。滅する者はないのである。もし識が生じたならば、出生というこの法もまた空であり、業種に随って生じた法は、すべて空である。ただ阿頼耶識 (Ālayavijñāna) のみは空ではなく、神様は万法の種子を含蔵し、万法を生じさせることができる。神様は真実有であり、残りのすべては空であり、偽りであり、幻化であり、真実ではないのである。
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